「あーもう、惜しかったぁ〜あとちょっとだったのにねぇ…って乾、あんた当事者でしょ。もっと悔しがったらどうなのっ。あの時後1ポイント取れてたら勝てたのにぃ〜」
前を歩いていた彼女が振り向いた。
人差し指を突きつけて乾に詰め寄る。
「悔しいんだけどね、それなりに」
そういう乾を彼女は下から睨みつける。
「…そう見えない」
じと〜と据わった目で乾を見上げる彼女。
その様子はとても不機嫌。
「そうか?」
予想通りの反応に乾の口元が緩む。
それを見て彼女がふいっと乾から視線をそらした。
頬を膨らませたままずんずん一人で歩いていく。
子ども扱いされたとでも思ったのだろう。
乾はただ、彼女の素直な反応を微笑ましく、そして愛しく思っただけなのに。
どうやらそうは伝わらなかったらしい。
「…参ったな」
さほど困った表情もせず、乾は首をかしげた。
少し歩調を速めて彼女に追いつく。
彼女は横に来た乾にチラッと視線を走らせたが、すぐに前を向いてしまった。
「…私、乾が毎日部活の後も一生懸命練習してたの知ってる」
「…」
言葉を交わさず、2人並んで歩く。
「授業中だってトレーニングしてたのも知ってる」
「…」
「前回より乾強くなってるからこそ、悔しかった」
「…」
乾は言葉を発しない。
その代わりに彼女の頭をぽんぽんと叩いた。
「…応援、してるから」
見上げてくる彼女に乾は眼鏡の奥で優しく微笑んだ。
次のランキング戦、乾はついに準レギュラーにまで上り詰めた。
レギュラーまで後1歩。
彼女も自分のことのように喜んでくれた。
テニスをすることも彼女との付き合いも両方とも順調で幸せだった。
だが、彼を取り巻く環境がその頃から変化し始めた。
この頃から乾の身長は群を抜いて伸び始めた。
身長が高く目立つせいか、ほかの女子にもてはじめるようになって来た。
乾はいつも笑顔の彼女がほかの女子生徒の彼女に対する陰口、嫌がらせでなやまされていることを知る。
「…乾、本気?」
俯いた彼女。
彼女よりはるかに背の高い乾からは彼女の顔は見えない。
「あぁ」
内心動揺しつつも乾はいつものポーカーフェイスを崩さない。
「…別れたいって、そんな」
彼女の震えた声を聞いてかすかに乾の顔がゆがんだが、それもすぐいつものものへと戻った。
乾は気持ちを落ち着かせようと、彼女に気づかれないよう、大きく息を吸い込んだ。
「一方的にこんなことを言い出してすまないと思っている。だが…」
彼女は乾を見上げる。
「言葉を撤回するつもりはないよ」
努めて冷ややかに乾は彼女に告げた。
「理由くらい聞かせてよ」
「…」
「乾」
咎めるような彼女の口調。
「…テニスに集中したい」
出てきた答えに乾自身が驚いた。
潤んでいた彼女の目からしずくがこぼれた。
乾はそれから顔をそらす。
彼女にはそんな顔をさせたくはなかったのに。
彼女にそんな顔をさせているのは紛れもなく自分自身だ。
「…そういうことだから」
「乾っ」
乾は彼女の呼び止める声を聞かずにその場に背を向けた。
足早にその場を立ち去る。
彼女の姿が見えなくなってようやく、乾は壁に身体を預け息を吐き出した。
握り締めた手が冷たい。
微かに震えていた。
ゆっくりと拳をとく。
頭を抱えるように乾はその場に座り込んだ。
彼女が好きだった。
別れを告げたそのときでさえ、乾の心は彼女に支配されていたのに。
だからこそ。
もうこれ以上彼女とは付き合えなかった。
部活を終えての帰り。
校門近くで見覚えのある後姿を見た。
隣りにいた手塚の眉間が険しくなる。
お前がそんな表情をすることないだろう、と内心苦笑する乾。
「あ…乾、手塚お疲れ。練習終わったんだ」
彼女は笑顔で2人のほうを振り返った。
「あぁ、さっきね。海堂はもう少し打っていくようだったけど」
「…」
言葉を交わす2人と無言の手塚。
「待ってるんだろ?呼んでこようか?」
「ありがとう。でもいいよ。試合近いんでしょ?その前にやれることやって臨んでほしいし」
乾の申し出に彼女は首を横に振る。
「そうか」
乾の表情が少し柔らかくなる。
変わらないな、そういうところは。
「試合、応援に来るといいよ」
「うん。ありがとう」
乾は隣りで居心地悪そうに視線を泳がせている手塚のほうを見やる。
傍から見ればいつもと変わらない無表情だが、3年も付き合ってると多少の変化もわかるようになってくるものだ。
「じゃ、 さん、また。行こう手塚」
「あ、あぁ」
乾と手塚は校門のほうへと歩き出す。
「乾っ」
名前を呼ばれ、乾は彼女のほうを振り向いた。
「試合、乾の事も応援してるから。手塚君も」
眼鏡の奥の乾の目が大きく見開かれる。
「…ありがとう」
乾が柔らかく微笑んだ。
手塚も彼女に軽く会釈した。
「安心したぞ」
校門を出てしばらく歩いて手塚が口を開いた。
「そうか?」
乾は口元にだけ笑みを浮かべる。
「表からはいつものお前に見えた」
前を見たままで手塚は言葉を続ける。
「…手塚にしてはとげがある言い方だな」
少し肩をすくめる乾。
「…」
乾のそんな仕草に手塚はやや不愉快そうになったが、それはいつものこと。
もちろん、乾は気にしない。
「もっとギスギスしてると思ってたのか?今はもう大丈夫なんだ。お互い気持ちの整理はついてるしね。心配させて悪かったな」
「ならいいが。…乾、無理はいいが無茶はするなよ。認めたくはないが、自分では気づけないということも確かに存在する」
足を止め手塚が乾を正面から見据える。
戒める手塚の視線に乾は頷くことはせず、ただ曖昧な笑みを送った。
帰宅してすぐ乾はラケットを持って家を出た。
練習の疲労感が体に残っていたが、それも毎日のことでたいしたことではない。
乾は近くの公園に着くと、壁うちをはじめた…いつものように。
ただひたすらボールを打つ。
次のボールを…と手を伸ばしたが、すでに打ち切っておりそこにボールはなかった。
そこでようやく乾はふっと息をついた。
打ち散らばったボールを集める。
集め終わり、乾は時計に視線を向けた。
「…ちょうど時間か」
乾はそう呟くと、近くにあったベンチに腰を下ろした。
かばんの中からドリンクを取り出し、口に運ぶ。
太陽はだいぶ傾いていて、風はだいぶ冷たくなっていた。
先ほどまで運動していた乾には、それは心地いいものだったが、肩を冷やさないために上着を一枚羽織る。
“いいのか?”
部活前、手塚に言われたことがふと、頭をよぎった。
“…彼女と俺はとっくに終わってるんだから”
手塚に言った通り、彼女とは2年近く前に終わっている。
そう、終わっているのだ。
別れた後も乾の視線は彼女を追っていた。
しばらく見れなかった笑顔もしだいにとりもどしていくさまも。
それらを乾はずっと見てきた。
乾はそれ以後彼女という存在を作らない。
それを知っているからこそ、彼女の名前が出てきて仲間たちはあんないつもらしからぬ反応を見せたのだろう。
「…未練、あるのかもしれないな。周りから見ると自分が思っている以上に」
藍色に染まり始めた空を見上げ、乾は言葉にせず、呟く。
彼女には幸せになったほしい。
今もそう思っている。
ただ、そのとき隣にいるのは自分でありたかったと今も思ってしまう自分に乾は苦笑する。
「…海堂でなかったらなぁ」
厚いめがねの奥で乾は目を細める。
乾は立ち上がり、バッグを持つと家路に着いた。
電灯がぼんやりと道を照らしていた。
反省文
初悲恋ものですね、これは。
自分、何が書きたかったんでしょう?
移転前のサイトで乾vs海堂を読んでみたいというご意見をお聞きしてというのがきっかけだったのですが。
当初から元彼と今彼という設定を考えていたのですが、もっとどたばたギャグといいましょうか、乾に振り回される海堂とヒロインとなるはずが。
どうしてこうなってしまったのでしょう。
今度はどたばたギャグでリベンジしたいものです。
読んでいただきありがとうございました。
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