ポーンポーンポーン。



その場から1歩も動かず、無造作にラケットを振るう。

壁には1つの跡。



「だいぶ調子が戻ってきたみたいだね」



聞きなれた声にボールを真上に弾いてから落ちてきたそれを器用にキャッチした。

声の方を振り返る。



「…コーチ」



笑顔で歩み寄ってくる人物をどこか覚めた目で見つめる。



「コートで打ってみようか」



コーチに言われた瞬間、苦虫を噛んだように顔がゆがんだのが自分でも分かった。



「完治、したんだろう?」

苦笑するコーチを無言で睨みつける。

「いつまでもそうしてもいられないだろう」



「おーい、相手してやってくれ」

コーチは片手での肩に置き、もう一方の手を大きく振ってコートにいた1人の少年の声をかけた。

「さっ」

優しく肩を押された。

一度振り返り、ひらひらと手を振るコーチを見た後、コートへと入っていった。















右だ。

自分がいる位置とは反対側へと身体を向ける。



「クッ」

一瞬反応が遅れたのが自分でも分かった。



それでも、片足で地面を蹴り上げて何とかボールの届く位置に身体を滑り込ませた。

強引にラケットを振る。

身体のバランスなんて取れたもんじゃない。

傾く視界でボールの軌跡を追った。



ビシッ。



小気味いい音がコートに響いた。

それとほぼ同時に身体はコートに叩きつけられるように転がる。



「あ〜ぁ、6-3かぁ。やっぱ強いなぁ」

ラケットで肩を叩きながら相手は笑っている。

そちらには視線を向けず立ち上がり、砂を落としながら先ほど違和感を感じた場所に視線を落とす。

苦虫を噛んだように顔がゆがむ。

相手からは俯きがちのその表情は見えないのだろう。



「もう怪我はいいみたいだな。完全復活ってか?」

おちゃらけてそう言う相手を一瞥し、軽く一礼すると無言のままコートを出た。



「流石だね」

「一言いい?」

「奇跡の復活。次の大会にはやっぱ出場するの?」

愛想笑いに囲まれる。



「…どいてください」

俯いたまま低く言ってそれをかき分けて進む。



「おぉい、どうしたんだよぉ」

さきほど対峙していた相手がそんなことを言っていた気がしたけれどそのまま足早にコートを後にした。



「…どこが…だよッ」

吐き捨てるように言った小さな呟きは風に吹き消され他の者の耳に届くことはなかった。

ラケットをぎゅっと握り下唇を強くかみ締める。

「…」

眉間にしわがよった。

口の中にほんの少し鉄の味が広がった。















「もう、膝の方も完治しているんだけどねぇ」

そう医者は言った。

「後は君の気持ちの問題なんだよ」

「……」

俯いたまま顔を上げられない。



「…すみません」

「いや…まぁ、焦らなくてもいいけど、少しずつ、ね」

医者が困ったような笑顔でいるのか声で分かる。

「…はい。じゃ」

顔を上げないまま答える。

「あ、…また、ね」

コクンと頷く。



そのまま椅子から立ち上がり、医者の顔を見ないまま一礼して部屋を出た。

そのまま病院を後にする。

外に出るとふわっと風が前髪を揺らした。

人通りの少ない裏庭へと向かう。



木陰に、木に寄りかかるようにして片足は伸ばし、もう片方は曲げてそれを抱えるようにして腰を下ろした。

ようやく顔を上げる。

大きく息を吐き出す。

頭上には爽やかな青空と眩しい太陽。

いまだ思い出す。



ブレーキの音。

声に出なかった叫び声。

膝に走る鈍い痛み。

ぐるぐると廻った視界。

ラケットを握っていても、足がつる気がする。

全力では1ゲームももたない。

嫌い。

何もかも大っ嫌い。

いくら試合に勝ったってちっとも楽しくない。

奇跡の復活。

嘘。

テニスなんてできてないのに。

思いっきり戦えてないのに。

笑顔の下に隠したどす黒い感情が時々俺を支配する。

テニスがしたいのに。 

強い相手と思いっきり戦いたいのに。

何故俺の足は思うように動かない……?



視線を下に向ける。



「気持ちの問題、かぁ…」

膝に手を添える。



「クソッ」

前髪を書き上げるようにしてガシッと手を握り締めた。

そのまま膝を睨みつける。



ふわっと頬に風を感じた。

肩の力が抜けた。

大きく息を吐き出す。



「…らしくない、なぁ。俺」

静かに目を閉じる。

コツン、と頭を幹につけた。

目を開ける。



「…テニスがしたいよぉ」



ちゃんと試合がしたい。

ただそれだけ。

見上げた空は腹が立つほど青く爽やかで、ほんの少しゆがんで見えた。














ストレスが鬱積し、精神状態が荒れていくのを感じた俺は両親に、祖父の元に行きたいと言った。



祖父のいる国は日本。



俺がずっと憧れている国であり、母の故郷でもある国。

そんな国にいけば、きっと気持ちが落ち着くだろうと思った。



何より、このままここにいたらどんどん悪くなっていくような気がしたから。

テニスをしていた俺を知っている人間がいる場所にいたくなかったから。

両親とはなれて祖父のものに行くのは不安もあったけれど。



ここにいたくない。

このままでいたくないという気持ちが、俺を日本へと向けた。



最初は大反対だった親を何とか説得し、祖父の承諾を得て、今日日本へ向かう。



「長期休みくらいは帰ってきてね」

今生の別れというわけではないのにそう言って涙ぐむ母親に困ったように笑顔を向け、そっとその頬にキスして父親の方を向き直った。

「お義父さんのいうことをきいていい子にするんだぞ。何かあったらすぐに電話でも何でもして来い」

クシャッと頭を撫でられた。

「うん」

父親にギュッと抱きついて、抱き返されるのを確認してから、そっと身体を離した。



「いってきます」

笑顔でそういうとゲートをくぐった。










■戻■